椣原の綱打ち 解答編~
ブロ友さんのいろはさんからは
「あかねさんが出てきたら、おもしろい!」との事でした (^^)/
あたらずとも遠からず!
この綱のかたまりから出てくるのは・・・・・
こちらの方!
綱をどんどんカラダに巻いていき、頭の上も綱で蓋をされる状態に。
その後、藁をいっぱい敷いてあるところまで綱を運んでいき・・・・
わかりますかね?!
大人や子どもの上を、ゴロゴロと転がされました。
そして本堂前へ綱を運び、その後お綱掛けに行かれました。
【勧請綱】
一般的に古来より村の境界から悪霊や厄病(伝染病)等が入ると信じられていた。それを阻止すると同時に身体堅固、五穀豊穣、子孫繁栄等を願って村の境界に勧請綱張った民俗行事の一種。
【椣原の勧請綱の起源】
明治時代以前は確かだが(伝来)起源は不詳。
【規模】
長さ(約27m)・太さ(約25cm)では奈良県一!
【形状】
この勧請綱は雄づなに雌づなが巻きついている。雄づなには松の枝を取り付けた2本の龍の足(長さ9m30cm)、男根、フグリもつけられている。これには豊作・子孫繁栄を祈願する意味が込められている。
【製作】
勧請綱を製作することを地元では「綱打ち」といい、毎年1月3日に椣原自治会が実施する。
【龍神信仰】
椣原の勧請綱は龍神信仰と結びついている。龍神は水の神といわれ、水害より農作物を守り、村の人々を守ると信じられてきた。この近くに大正末期頃まで龍が住むと言われてきた龍穴が残っていたが鉄道敷地となり現在はない。
(綱近くに置かれた案内板より)